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Rachelle・水沢よりアナタへ

R.Kellyを生き延びて

2019年にアメリカで放映された、Rケリーの性的虐待事件の数々を暴いたドキュメンタリーシリーズによって、Rケリーのキャリアは決定的に失墜した。

彼が未成年の少女達に良からぬ事をしているという噂はアリーヤと結婚していた当初からまことしやかに囁かれていて、決定的な証拠こそないものの業界内や一部の音楽ファンの間では周知の事実であるかのような事柄だった。それが、被害者達へのインタビューを元にしたドキュメンタリーの公開により本格的に警察が動き出し、遂に正式に有罪判決が出たのだ。

「ドキュメンタリー作品がきっかけとなり警察が捜査に乗り出し、罪が明らかになる」という流れは日本にいると(それが本当の原因かは分からないが、)馴染みが無いので非常に新鮮である。ドキュメンタリーと言っても映画やテレビ番組だと、それが見る者の心に影響を与える事はあっても、実利的な面で社会的な影響力を持つということが、日本での事象としては聞いた事が無い。

しかしアメリカではこの手の話は、実はよくある事なのだ。マイケル・ジャクソンが少年達に性的虐待をしていた「かもしれない」という話もドキュメンタリー番組が契機となり大きく取り上げられるようになった話題だし、最近もブリトニーが成年後見制度により父親から不当に搾取されている事を取り上げたドキュメンタリーの公開が、#FreeBritney運動にまで発展した。

 

ただ最終的な着地点として、こういった告発系のドキュメンタリーが有罪判決に結びついた例はアメリカでも珍しいのではないかと思う(それか日本に情報が入ってきてないだけなのか。それだけ大きく扱われないと有罪判決にまで持っていけないのか、という絶望感に襲われた件については敢えて今は触れないでおく)。

 

目下、私にとっての課題は、今後彼の作品とどう向き合っていくべきか、という点だ。

以前、小山田なんちゃらが学生時代に同級生に度重なる暴力をふるい、それを自慢げに吹聴していた事件の時に私は彼とその音楽について非常に辛辣な意見を述べた。

Rのやったことは、自分より弱い立場のものに対して理不尽な暴力(という言葉だけで済むような話ではないが)を行ったという点では同じくらい悪質だし、自分の社会的立場を利用して組織的な犯罪としてそれを行なっていたという点では小山田なんちゃらの時よりも遥かにタチが悪い。

この状況の中で、この先彼の音楽をどんな気持ちでどんな顔をして聴けばいいのか。

小山田なんちゃらの時と違い、私はRの曲をこれまでの人生でそこそこの時間をかけて聴いてきた。曲によってはかなり好きだったものもあるし、当然彼の音楽にお金を払ったこともある。その自分が払ったお金が、件の組織犯罪の一旦を担うために使われていたかもしれないと考えると、申し訳ないのか腹立たしいのかよく分からない気分になる。

 

自分の音楽ライブラリから彼を抹消するのは、今回は難しい。なにせ彼が関わった楽曲は膨大なうえに、ものによってはこの先どこかでやっぱり聴きたくなるだろうなと思うくらい素晴らしいものもある。

彼の音楽との今後の関わりにおいて私が気をつけられることと言えば、ストリーミング再生等によって、彼にお金が渡る形で彼の音楽を消費することがないように気をつけること、彼の音楽が使用されている映画等にはなるべく近づかないこと、くらいだろうか。

それくらいしか思いつかないや、ごめん。

 

犯罪の被害者達や同じ様な事件の被害に遭った人達に対してはもちろん、これまで彼の音楽を聴いてきた人達に対して、本当になんてことをしてくれたんだ全く。

 

さて、Rには有罪判決がくだった。小山田なんちゃらは雑誌の謝罪文(のつもりなのだろうか。読んでないから知らんが)だけで済ますつもりだろうか。